ビスコット、ラスク、コーン入りのパンにハムペーストとバター、
飲みものは紅茶とブラッドオレンジジュース。
やっぱり朝食は大事です。朝からカラダのキレが違います。
動きがよくなった効果か、出発前に洗面台でグラスを割りました。
フロントで謝罪し、割れたグラスはシンクの中にある旨など伝え、
そんなことをしていたら出発が遅れてしまいました…
5日目は南へ向かう移動日です。移動日なのに出遅れてどうする。
まずはスロヴェニア国境近くの町、トリエステまで移動。
須賀敦子さんの著作でご存知の方もいらっしゃると思います。
![トリエステの坂道 (新潮文庫) [文庫] / 須賀 敦子 (著); 新潮社 (刊) トリエステの坂道 (新潮文庫) [文庫] / 須賀 敦子 (著); 新潮社 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51AC5727TCL._SL160_.jpg)
![Amazon.co.jp
( 須賀敦子がこよなく愛したイタリアを、須賀の愛弟子であった岡本太郎が訪問。須賀と親交のあった著者が、須賀が過ごしたイタリアの町々を巡りながら、彼女の記憶の風景を写真とエッセイでつづる <p> 冬にボーラと呼ばれる突風がふくことで知られるトリエステは、須賀と彼女の夫ペッピーノにとって特別な存在である詩人サーバが愛した町。そのサーバが「不吉な洞窟」と呼び、須賀も「勇気をかきあつめて」中に足を踏み入れた書店を訪れ、店主と須賀の思い出にふける。その後、ウディネ、グラード、チヴィダーレなどを巡り、彼女の親戚が住むフォルガリアへ。カルロ、シルヴァーナらと会う。結婚6年で夫と死別した須賀に「もう一度結婚しなくちゃ」とシルヴァーナが言うと、彼女は「それにはペッピーノがもう一人必要ね」と答えたという。そして「あなたたちは私のイタリアの家族なのよって言ってたの」と言いながら目にいっぱい涙をためた。 <p> 町を訪れると、そこかしこで須賀を知る人に出会え、彼らの話から須賀の息づかいを感じられる。著者は言う。「須賀敦子の記憶の町はどれも少しずつ文学的な虚構性を与えられていて、その包みを紐解きながら歩くのは楽しい。作品中ではわずかしか触れられていない町で思いがけない風景に出会えたこともあった」と。 <p> 本書にちりばめられた各地のぬくもりのある写真は、まるで須賀の記憶そのものをファインダーを通して伝えているようで見ごたえがある。だが、本文中には著者の思いの丈をすべて表現しようとするあまり、読みにくい箇所がある。それも彼が須賀への熱い思いを吐露した結果であろう。(石井和人))
須賀敦子のトリエステと記憶の町 [単行本] / 岡本 太郎 (著); 河出書房新社 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/5107CZJP85L._SL160_.jpg)
ハプスブルク領だったこともあり、街はどこかオーストリア風です。
そして次はトリエステからクロアチアのリエカまでバスで移動。
(7.10ユーロ≒852円)
移動の途中でスロヴェニアの一部を通過します。
スロヴェニアの風景はオーストリアに良く似てますね。
のんびりとした雰囲気で、人も優しく、いい国ですよ。
スロヴェニアを越えると、クロアチアに入国。
10年くらい前だと旧ユーゴの観光情報は少なく感じたものですが、
時代は変わり、いまや「るるぶクロアチア」の改訂版が出てます。

箱根でも「るるぶ」、クロアチアでも「るるぶ」。「るるぶ」おそるべし。
リエカはなんと川崎と姉妹都市です。
ザグレブに次ぐクロアチア第2の都市で、最大の貿易港でもあります。
ここから先はフェリーで移動するのが「アドリア海ぐるり」っぽい。
しかしながら、フェリーの時間に合わせて行動するのがなかなか難しい。
南に向かう列車は1日2本しかないので、これまた時間が合わない。
またバスに乗って距離を稼ぐことにしました。
この日の最終目的地はダルマチアの古都・ザダール。
ダルマチアはクロアチアの海岸地方を指します。
リエカからバスで5時間!ほどかかって到着(115クーナ≒1725円)。
もう真っ暗でしたので、目についた大型ホテルに飛び込みます。
3つ星の「ホテル・コロヴァーレ」。
そしてチェックイン後、すぐにホテルのレストランで夕食。
団体客の利用が多いのか、夜遅くでもけっこう人がいました。
で、シーフードとサラダを注文したのですが…
団体客を捌くには、料理の素材は冷凍にせざるを得ない。
といった内容でございました。海辺の町なのに、なんということだ。
ま、遅い時間に食事にありついただけ、ありがたく思わないといけないか。
宿泊費と夕食代、税金を含めて、1泊384.5クーナ(≒5760円)でした。