自分としては、その事実を淡々と受け入れられるつもりでした。
それが今年に入って、本当に「死」というものを受け入れられるのか、
自分の中でぐらついてきたような気がします。
生と死にまつわる話でよく覚えているものが2つあります。
ひとつは小学生のときの話。
墓参の折、なぜか住職さまが僕たち子供を本堂に呼び、話を始めたのです。
昔と今とではどちらが人口が多いか。もちろん今の方が多いのだね。
ところで、人が生まれてくるには必ず父母がいる。その父母にもそれぞれ父母がいる。
今の方が人口が多いのに、時代を遡るほどに人が増えていく。不思議なことだね。
自分につながる父母のうちひとりでも欠けたら、自分は存在しない。
いま生きているということは、ご先祖さまから命をずーっと受け継いでいるということ。
そのことを忘れてはいけないよ。
そんな話でした。
もうひとつは、アラサーで通った専門学校の講義で聞いたもの。
死ぬということには不安を感じる。正直に言って怖い。
だから、老衰してぼける=赤ちゃんに戻るという現象は本人にとって幸いかもしれない。
死の恐怖を感じなくて済むシステムと捉えることもできる。
ところで、死ぬことは怖いけれども、自分の子供の身代わりならば迷わず死ねる。
大きな声では言えないけれど、奥さんのためには死ねないかもしれない。
でも子供のためなら死ねる。
子孫を残すことで、自然と死の恐怖から解放されていくのかもしれない。
そんな話でした。
2つの話はどこかでつながっているように思えました。
親からDNAを受け継ぎ、子供に自分のDNAが受け継がれていくということ。
もう少し広く考えると、自分に子供がいなくても、兄弟に子供がいれば…
あるいは一族が続いていくのなら…
それは形を変えた輪廻や復活と捉えてよいかもしれない。
そうであるなら、自分の死を恐れなくともよいのかもしれない。
と、自分の中ではそういう考えを持っていたつもりでした。
しかし、人の死にあたって平静ではいられない出来事が続きました。
ここにきて、死にまつわるさまざまな不安や迷いが湧き出てきたように思います。
もしかすると、自分の死どころか、身近な親族の死さえ受け止められないかもしれない。
友人にそんな話をしている自分がいました。
一方で、友人達の子育て話を無条件に面白く好ましく感じて聞いている自分もいまして、
死についても子供についても考えを巡らせるようになるのがアラフォーかもしれません。
結論が出ているようで出ていない。
不惑にはほど遠い2011年の年末です。
みなさまよいお年を。
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よいお年を!!
よいお年を。
というのはさておきまして(笑)人生イロイロあるものですから、ゆるりとまいりましょう。
よい年をお迎えくださいませ♪
いろんな意味で、何が起こるかわかりませんね。
とも2さまもよいお年を。
今年、やり残りたことの筆頭は「kanさんと飲みに行けなかった…」です。
結婚して子どもができますと、自分も成長しますよ〜。
ちなみに、「何はともあれ、自分の親より先に死なない。それを裏切るのは親不孝」というのが私のモットーです…。我娘にも懇々と言い聞かせてあります。
それでは、よいお年を。
定期的に川崎パトロールもするつもりですので、また飲む機会はあると思います。
結婚と子育ては人として大切な仕事なのでしょうね。
teruさんもよいお年を。