12日目。「アドリア海ぐるり」の最終日です。
朝一番で日本のカード会社に電話。
紛失したカードが不正使用されてないか、念のために確認します。
いや、イタリア人を信用してないわけじゃないですよ?
日本語で確認して安心したかっただけなんです。
はじめ電話に出た人の態度がたいへんよろしくなかったのですが、
カードをなくしただけとの旨を伝えると、態度が一変しました。
要するに、最初は海外旅行保険サギだと思われてたんですね。
保険付帯タイプのカードなので。
それだけ保険金サギが多いってことかなあ…
さてこの日もテルミニ駅から歩きはじめます。
路面電車。新型ですね。
こちらはちょっと古いタイプ。
またトレビの泉の前を通ります。
サン・ピエトロ寺院が見えます。
ヴァチカンには行ったことあるので、このときはパスしました。
システィーナ礼拝堂、すっごい混むんだもん…
サンタンジェロ城。
前日に引き続き、ナヴォーナ広場を横切ります。
パンテオン。
このへんでランチにします。
春巻にワンタンスープ、炒飯、豚とパプリカの辛味噌炒めで10ユーロ。
最終日に中国料理とはいかがなものか、との意見もおありでしょうが、
食べたいものを食べたいときに食べられるのが幸せというものです。
午後は買い物の時間。
ん?メモによると「ドライイチジク」なんて買ってますね。
文房具店ではスタイリッシュな文具セットを購入。
その後、この文具たちがほとんど使われないことなど、知る由もない。
書店では有名な「リツォーリ」がありますので、長時間回遊します。
ほかにもちょっと変わった書店があって、そちらにも長居しました。
紙箱入りのカラフルなTシャツをいちめんに陳列したコーナーがあったり、
関連商品と本を集めた「星の王子様コーナー」があったり。楽しいな。
「ピーナッツコーナー」(スヌーピーの漫画ね)もありました。
最後にイタリアで思い残すことがないように、ジェラートで〆ました。
レモン&パイナップルの爽やかな味に満足。
反省すべき点は多々あれど、終わりよければすべてよし。
この旅行もなんとか無事に終わりました。
そして長いフライトの後には、バッチリ仕事が待ち構えていたのでした…
以上、2002年の「アドリア海ぐるり」でした。
これ以降はハードな移動旅をしなくなりましたね。“できなくなった”のかも。
まだ南米を訪れていませんので、ハードな移動はこれからが本番だったりして。
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございましたm(_ _)m
(おしまい)
2011年02月27日
2011年02月26日
アドリア海ぐるり・その14(ローマ前編)
11日目。
ナポリからローマへ特急で約2時間半(10.12ユーロ≒1214円)。
スタート地点のローマに戻ってまいりました。
テルミニ駅近くで手頃なホテルを探してチェックイン。
2泊で80ユーロ(≒9600円)。
あと2日間はゆっくり過ごすだけ。
これでごはんも普通に食べられます。
移動旅行をすると食欲が湧かず、あまり食べられないのです。
3食のうち2食はごく軽く済ませますので、結果的に痩せますね。
移動旅ダイエット。やや栄養バランス的に問題がありますけど。
もちろん、滞在旅行の場合は容赦なく太りますよ。
さて、ローマを歩き始めます。
八百屋さん。
ヴィットリオ・エマヌエーレII世記念堂。
グレゴリー・ペックが偶然へプバーンを見つけたように偽装した階段。
トレビの泉なんですけど、どんだけ人がいるの?月曜日ですよ?
街なかにあるローマ遺跡。
遺跡はネコのたまり場。
この旅行で訪れた場所の多くが世界遺産に登録されていますが、
特にイタリアは国自体が遺跡といってもいいくらいですよね。
ローマ遺跡なんか、むしろ食傷気味です。
遺跡に対して愛が足りない。
「MASTERキートン」は好きだけど、自分には考古学者の素質はないよな…
この後、マッシモ宮まで歩き、ナヴォーナ広場でひと休み。
と、「ナカータ」と声をかけられます。
ナカタ。中田英寿ね。はいはい、日本人狙いの商売なのね。
男性が近づいてきて、笑いながらミサンガを手首に巻こうとするので、
こちらも笑いながら、ひょいっと腕を抜く。
そして同じことを3回繰り返す。どっちもヤメレ。
この日最後に訪れた観光ポイントはコロッセオでした。
…ところで、いまローマの地図を確認しているのですが、
なんでこんな十字手裏剣みたいな順番で歩いたのだろう。
自分でも理解できません。
そしてまたテルミニ駅方面に戻ります。
駅といえば列車。“鉄”関係の方へのサービスショットです。
うちの読者に、その筋の方が何人いらっしゃるのかわかりませんが…
ホテルで「安くて美味しくて人気ある店をティーチミー」とリクエスト、
教えてもらった店で夕食をいただきます。
ブルスケッタ、カプリチョーザ(かぶってます)、サラダ、
ブラッドオレンジジュースで16ユーロ(≒1920円)でした。
旅メモによると、この日のお土産でパスタ柄のエプロンを買ってます。
いま思えば、なにもイタリアで買わんでも…というモノでした。
ライブのときに、思わずグッズを買っちゃう心理と同じでしょうか。
(次回・最終回、といっても特に盛り上がることなく淡々と終わります)
ナポリからローマへ特急で約2時間半(10.12ユーロ≒1214円)。
スタート地点のローマに戻ってまいりました。
テルミニ駅近くで手頃なホテルを探してチェックイン。
2泊で80ユーロ(≒9600円)。
あと2日間はゆっくり過ごすだけ。
これでごはんも普通に食べられます。
移動旅行をすると食欲が湧かず、あまり食べられないのです。
3食のうち2食はごく軽く済ませますので、結果的に痩せますね。
移動旅ダイエット。やや栄養バランス的に問題がありますけど。
もちろん、滞在旅行の場合は容赦なく太りますよ。
さて、ローマを歩き始めます。
八百屋さん。
ヴィットリオ・エマヌエーレII世記念堂。
グレゴリー・ペックが偶然へプバーンを見つけたように偽装した階段。
トレビの泉なんですけど、どんだけ人がいるの?月曜日ですよ?
街なかにあるローマ遺跡。
遺跡はネコのたまり場。
この旅行で訪れた場所の多くが世界遺産に登録されていますが、
特にイタリアは国自体が遺跡といってもいいくらいですよね。
ローマ遺跡なんか、むしろ食傷気味です。
遺跡に対して愛が足りない。
「MASTERキートン」は好きだけど、自分には考古学者の素質はないよな…
この後、マッシモ宮まで歩き、ナヴォーナ広場でひと休み。
と、「ナカータ」と声をかけられます。
ナカタ。中田英寿ね。はいはい、日本人狙いの商売なのね。
男性が近づいてきて、笑いながらミサンガを手首に巻こうとするので、
こちらも笑いながら、ひょいっと腕を抜く。
そして同じことを3回繰り返す。どっちもヤメレ。
この日最後に訪れた観光ポイントはコロッセオでした。
…ところで、いまローマの地図を確認しているのですが、
なんでこんな十字手裏剣みたいな順番で歩いたのだろう。
自分でも理解できません。
そしてまたテルミニ駅方面に戻ります。
駅といえば列車。“鉄”関係の方へのサービスショットです。
うちの読者に、その筋の方が何人いらっしゃるのかわかりませんが…
ホテルで「安くて美味しくて人気ある店をティーチミー」とリクエスト、
教えてもらった店で夕食をいただきます。
ブルスケッタ、カプリチョーザ(かぶってます)、サラダ、
ブラッドオレンジジュースで16ユーロ(≒1920円)でした。
旅メモによると、この日のお土産でパスタ柄のエプロンを買ってます。
いま思えば、なにもイタリアで買わんでも…というモノでした。
ライブのときに、思わずグッズを買っちゃう心理と同じでしょうか。
(次回・最終回、といっても特に盛り上がることなく淡々と終わります)
2011年02月25日
アドリア海ぐるり・その13(ナポリ後編)
10日目。
前日の件はノーカウントということにして、ナポリの1日が始まります。
ホテルの近くで路上の朝市。けっこうな人出です。
ポルトガルでもこんな鳥の嘴状のファサードを持つ建物を見ました。
ウンベルトI世ガレリア。
ミラノのヴィットリオ・エマヌエーレII世ガレリアと同じ19世紀末の建築。
カステル・ヌオヴォ。
このへんで旧市街に移動し、早めのランチにします。
バカのひとつ覚えのような注文ですが、スパゲッティ・ボンゴレ。
朝市で貝を見たのが、無意識に刷り込まれたのかもしれません。
それにイワシ、タコ、イカ、エビのフリット。パンとミネラルウォーター。
ドルチェはタルトゥーフォ、そしてエスプレッソ。
以上で23ユーロ(≒2760円)でした。
一応はリストランテでしたので、価格はまあ適正の範囲内でしょうか。
メモってたら他の席のお客さんから「フードジャーナリストなの?」と。
確かに…一般人が食事のメモをとるなんて、日本人くらいかもしれませんね。
こういう外国の人に、日本の普通のママが作るキャラ弁とか見せてあげたい。
信じられないクオリティの高さですもんね。どこで修業したのかってレベル。
食後、また歩き出します。
ダンテ広場。
で、このような道を歩いてましたところ…後ろから悲鳴が。
振り向くと、ひったくりにあったとおぼしき女性が叫んでます。
そして2人乗りのバイクが猛スピードで歩道を走り抜けます。
ほんの数秒のことでした。
ああ、これがナポリなのか。
そこそこ人通りもあった路上でひったくり。本当に気をつけないといけないな。
と、いまさら気を引き締めても、前の日にカード紛失してるんですけど。
ショーウィンドウのタルトなど。上段のデカいのは何?
サン・フランチェスコ・ディ・パオラ教会。
と、こんな感じで、ざっくりとナポリを歩きまわりました。
結論から申し上げますと、「ナポリを見て死ね」は死語です。
でも、やや煤けた下町風のこの街を愛する人も多いのでしょうね。
ホテルに戻って、寝る前に翌日の出発の準備を整えます。
と、どうも何か忘れものをしたような気分なのです。
しばらく考えてわかりました。ポンペイに行くのをすっかり忘れてました…
前日の件はノーカウントということにして、ナポリの1日が始まります。
ホテルの近くで路上の朝市。けっこうな人出です。
ポルトガルでもこんな鳥の嘴状のファサードを持つ建物を見ました。
ウンベルトI世ガレリア。
ミラノのヴィットリオ・エマヌエーレII世ガレリアと同じ19世紀末の建築。
カステル・ヌオヴォ。
このへんで旧市街に移動し、早めのランチにします。
バカのひとつ覚えのような注文ですが、スパゲッティ・ボンゴレ。
朝市で貝を見たのが、無意識に刷り込まれたのかもしれません。
それにイワシ、タコ、イカ、エビのフリット。パンとミネラルウォーター。
ドルチェはタルトゥーフォ、そしてエスプレッソ。
以上で23ユーロ(≒2760円)でした。
一応はリストランテでしたので、価格はまあ適正の範囲内でしょうか。
メモってたら他の席のお客さんから「フードジャーナリストなの?」と。
確かに…一般人が食事のメモをとるなんて、日本人くらいかもしれませんね。
こういう外国の人に、日本の普通のママが作るキャラ弁とか見せてあげたい。
信じられないクオリティの高さですもんね。どこで修業したのかってレベル。
食後、また歩き出します。
ダンテ広場。
で、このような道を歩いてましたところ…後ろから悲鳴が。
振り向くと、ひったくりにあったとおぼしき女性が叫んでます。
そして2人乗りのバイクが猛スピードで歩道を走り抜けます。
ほんの数秒のことでした。
ああ、これがナポリなのか。
そこそこ人通りもあった路上でひったくり。本当に気をつけないといけないな。
と、いまさら気を引き締めても、前の日にカード紛失してるんですけど。
ショーウィンドウのタルトなど。上段のデカいのは何?
サン・フランチェスコ・ディ・パオラ教会。
と、こんな感じで、ざっくりとナポリを歩きまわりました。
結論から申し上げますと、「ナポリを見て死ね」は死語です。
でも、やや煤けた下町風のこの街を愛する人も多いのでしょうね。
ホテルに戻って、寝る前に翌日の出発の準備を整えます。
と、どうも何か忘れものをしたような気分なのです。
しばらく考えてわかりました。ポンペイに行くのをすっかり忘れてました…
2011年02月24日
アドリア海ぐるり・その12(ナポリ前編というか懺悔の部屋)
9日目。フェリーはアドリア海の対岸・アンコーナの港に到着。
入国時、係官に聞かれます。
「日本人はイタリアに入国するのにビザは必要ないの?」
聞かれたので答えます。
「No need」…って、セリフがまるっきり逆じゃないですか。
さすがのヘタリアなのです。
さてこれからどうしよう。
南イタリア、ブーツのかかとあたりを歩いてみたい。シチリアもいいなあ。
ただし、この日が土曜日で、水曜日にはローマから帰国します。
イタリア北部にいたとしたら、4日間もあれば存分に歩きまわれるんです。
日本でいえば首都圏みたいな感覚ですから。
でも、今いるアンコーナは北陸のような位置にあります。
そして5日後には近畿の古都から帰国、という条件付き。
そんな条件で出雲大社や境港に行ったり、九州に行ったりできるのか…
ということで、結論は「近畿で帰国までゆっくり」。
ただ、4日間ずっとローマにいるだけというのもアレなので、
ここは「ナポリを見て死ね」かな。
…といった脳内シミュレーションを経て、列車で移動を開始します。
ペスカーラ・フォッジャを経由して、ナポリに到着。いや遠かった。
ナポリは初めて。
早速ホテルにチェックイン。2泊で62ユーロ(≒7440円)。
荷物を置いて歩きはじめたのですが…
しばらくしてクレジットカードを落としたことに気づきました!
よりによってイタリア最凶(半分嘘)のナポリで。
・ホテルに戻ってカードがないのを再確認
・イタリア国内のVISAに電話して利用休止依頼
・利用明細レポート確認用の番号を教えてもらう
などなど、ナポリ初日の残り時間をそんなことに使ってしまいました。
ある程度の現金と予備のカードを持ってましたので、大事には至らず。
冷静に振り返ってみると、旅行のたびに結構な失敗をやらかしてます。
しかもこの旅行では、クアラルンプールでまさかの大失敗。
テレビの深夜番組の放送時間が「2月24日の深夜2時」だとします。
当然ながら、2月25日の午前2時と捉えますよね。
これを乗り継ぎ便の出発日時にあてはめてしまったのですよ。
H.I.S.で「ローマへの乗り継ぎ便は4月24日の深夜2時発です」と言われ、
深く考えずに24日の夜中に空港カウンターでチェックインしたのですよ。
そして「この飛行機は24日の午前2時に出発した」と指摘されたのですよ。
「え?」と日時を確認して3秒後、頭の中が真っ白になりました。
妄想族のせいか、普段から脳内シミュレーションは欠かさないので、
アクシデントの対処方法は映像でイメージできることが多いのですが…
このときは真っ白でした。燃え尽きたか。
このケースは100%自分が悪いので、チケットを買い直す決意をします。
そしたらカウンターの人が「ちょっと待て」と。
なんとなんと、1日後のローマ行き便を手配してくれたのです!
なんの交渉もしてないのに。それ以前に格安航空券だというのに。
マレーシア航空の皆様、本当に本当にありがとうございました。
もう南西方面に足を向けて寝られません。
入国時、係官に聞かれます。
「日本人はイタリアに入国するのにビザは必要ないの?」
聞かれたので答えます。
「No need」…って、セリフがまるっきり逆じゃないですか。
さすがのヘタリアなのです。
さてこれからどうしよう。
南イタリア、ブーツのかかとあたりを歩いてみたい。シチリアもいいなあ。
ただし、この日が土曜日で、水曜日にはローマから帰国します。
イタリア北部にいたとしたら、4日間もあれば存分に歩きまわれるんです。
日本でいえば首都圏みたいな感覚ですから。
でも、今いるアンコーナは北陸のような位置にあります。
そして5日後には近畿の古都から帰国、という条件付き。
そんな条件で出雲大社や境港に行ったり、九州に行ったりできるのか…
ということで、結論は「近畿で帰国までゆっくり」。
ただ、4日間ずっとローマにいるだけというのもアレなので、
ここは「ナポリを見て死ね」かな。
…といった脳内シミュレーションを経て、列車で移動を開始します。
ペスカーラ・フォッジャを経由して、ナポリに到着。いや遠かった。
ナポリは初めて。
早速ホテルにチェックイン。2泊で62ユーロ(≒7440円)。
荷物を置いて歩きはじめたのですが…
しばらくしてクレジットカードを落としたことに気づきました!
よりによってイタリア最凶(半分嘘)のナポリで。
・ホテルに戻ってカードがないのを再確認
・イタリア国内のVISAに電話して利用休止依頼
・利用明細レポート確認用の番号を教えてもらう
などなど、ナポリ初日の残り時間をそんなことに使ってしまいました。
ある程度の現金と予備のカードを持ってましたので、大事には至らず。
冷静に振り返ってみると、旅行のたびに結構な失敗をやらかしてます。
しかもこの旅行では、クアラルンプールでまさかの大失敗。
テレビの深夜番組の放送時間が「2月24日の深夜2時」だとします。
当然ながら、2月25日の午前2時と捉えますよね。
これを乗り継ぎ便の出発日時にあてはめてしまったのですよ。
H.I.S.で「ローマへの乗り継ぎ便は4月24日の深夜2時発です」と言われ、
深く考えずに24日の夜中に空港カウンターでチェックインしたのですよ。
そして「この飛行機は24日の午前2時に出発した」と指摘されたのですよ。
「え?」と日時を確認して3秒後、頭の中が真っ白になりました。
妄想族のせいか、普段から脳内シミュレーションは欠かさないので、
アクシデントの対処方法は映像でイメージできることが多いのですが…
このときは真っ白でした。燃え尽きたか。
このケースは100%自分が悪いので、チケットを買い直す決意をします。
そしたらカウンターの人が「ちょっと待て」と。
なんとなんと、1日後のローマ行き便を手配してくれたのです!
なんの交渉もしてないのに。それ以前に格安航空券だというのに。
マレーシア航空の皆様、本当に本当にありがとうございました。
もう南西方面に足を向けて寝られません。
2011年02月23日
アドリア海ぐるり・その11(スプリト)
バスがスプリトに到着。
そしてイタリアに渡るフェリーのチケットを購入。
(296クーナ≒4440円)
これがスプリトに引き返さなければいけなかった理由です。
今はまた事情が変わっているかもしれませんが、
他国に渡るフェリーは数も場所も限られています。
日程を組むときに、これだけは融通がきかないんですよね。
荷物預け所に寄って身軽になると、白い港町・スプリトを散歩です。
スプリトの歴史は、ローマ皇帝ディオクレティアヌス3世(245〜313年)が、
退位後にこの地に宮殿を建てて住んだことから始まります。
ディオクレティアヌス宮殿などの史跡群が世界遺産に登録されています。
宮殿内にある大聖堂
アーチ構造が目につきますね。
港で手釣りをしている人。ここなら竿を出せたなあ。
夕方になり、フェリー乗り場へ。夜行フェリーなので、船中泊です。
フェリー乗り場に、ジャミロクワイのジェイ・ケイのような格好の若者がふたり。
ひとりが服のポケットから小型のラジカセを取り出します。
ラジカセをポケットに入れて持ち歩いてるのか!
どんなテープを聴くのかと思えば、ポリスの「シンクロニシティー」。
意外にフツーでした。
フェリーはイタリアのアンコーナに向かいます。
そしてイタリアに渡るフェリーのチケットを購入。
(296クーナ≒4440円)
これがスプリトに引き返さなければいけなかった理由です。
今はまた事情が変わっているかもしれませんが、
他国に渡るフェリーは数も場所も限られています。
日程を組むときに、これだけは融通がきかないんですよね。
荷物預け所に寄って身軽になると、白い港町・スプリトを散歩です。
スプリトの歴史は、ローマ皇帝ディオクレティアヌス3世(245〜313年)が、
退位後にこの地に宮殿を建てて住んだことから始まります。
ディオクレティアヌス宮殿などの史跡群が世界遺産に登録されています。
宮殿内にある大聖堂
アーチ構造が目につきますね。
港で手釣りをしている人。ここなら竿を出せたなあ。
夕方になり、フェリー乗り場へ。夜行フェリーなので、船中泊です。
フェリー乗り場に、ジャミロクワイのジェイ・ケイのような格好の若者がふたり。
ひとりが服のポケットから小型のラジカセを取り出します。
ラジカセをポケットに入れて持ち歩いてるのか!
どんなテープを聴くのかと思えば、ポリスの「シンクロニシティー」。
意外にフツーでした。
フェリーはイタリアのアンコーナに向かいます。
2011年02月22日
アドリア海ぐるり・その10(モスタル)
ドブロヴニクに2泊して、8日目の朝。
この日はスプリトに戻ります。
まっすぐ戻るのも芸がないので、ちょっとだけボスニアに寄り道。
ドブロヴニクからモスタルまでのバスが70クーナ(≒1050円)。
日本人はビザなしで旧ユーゴ諸国に入国できます。
クロアチア、ボスニア、セルビアで使われている言語はほぼ同じ。
格変化と方言の違い程度の差しかないようです。
ただし、スラブ系正教会のセルビアではキリル文字が使われます。
そういえば日本にも正教会の大聖堂がありますね。
みなさまご存知の、お茶の水のニコライ堂です。
バスでのボスニア入国審査は、さほどものものしい感じはありません。
モスタルに着き、とりあえず10ユーロだけ両替して現地通貨を入手。
19KM(コンベルティビルナ・マルカ:兌換マルク)くれました。
手数料を考慮すると、1KM≒60円ということになります。
バスターミナルから歩き始めると、景色のよい場所に、ちょっと心なごみます。
が、街の建物を見ると、壁がところどころ、お椀型にえぐれていたりします。
ん…
銃撃の痕跡だろうか。
しばらく歩きまわりましたが、観光気分で写真を撮る気にはなれません。
撮れた写真はこれだけ。
ネレトヴァ川の流れがとてもきれいなのでした。
モスタルの象徴はスタリ・モストという橋。橋と周辺が世界遺産に登録されています。
その橋もボスニア内戦で一度は破壊されました。2002年時点で、橋は修復中でした。
そして内戦後、敵対した民族のコミュニティは川を境に分けられたのでした。
戦争は一度始まってしまうと、取り返しがつかないものですね。
この旅行で訪れたクロアチアの観光地も、戦争被害に遭っています。
建物はきれいに修復できるかもしれませんが、人の記憶は…
スプリト行きのバスチケットを買い(15KM≒900円)、
出発までの間に、余ったお金でチェバプチチを買います。
挽肉の細長い肉団子を、タマネギと一緒にパンにはさんだもの。
ルーマニアのミティティと同様、バルカン半島一帯でみられます。
バスはまたクロアチアに入り、スプリトを目指します。
車窓からはカルスト地形がバッチリ見えますね。
歴史は繰り返す…のか。
この日はスプリトに戻ります。
まっすぐ戻るのも芸がないので、ちょっとだけボスニアに寄り道。
ドブロヴニクからモスタルまでのバスが70クーナ(≒1050円)。
日本人はビザなしで旧ユーゴ諸国に入国できます。
クロアチア、ボスニア、セルビアで使われている言語はほぼ同じ。
格変化と方言の違い程度の差しかないようです。
ただし、スラブ系正教会のセルビアではキリル文字が使われます。
そういえば日本にも正教会の大聖堂がありますね。
みなさまご存知の、お茶の水のニコライ堂です。
バスでのボスニア入国審査は、さほどものものしい感じはありません。
モスタルに着き、とりあえず10ユーロだけ両替して現地通貨を入手。
19KM(コンベルティビルナ・マルカ:兌換マルク)くれました。
手数料を考慮すると、1KM≒60円ということになります。
バスターミナルから歩き始めると、景色のよい場所に、ちょっと心なごみます。
が、街の建物を見ると、壁がところどころ、お椀型にえぐれていたりします。
ん…
銃撃の痕跡だろうか。
しばらく歩きまわりましたが、観光気分で写真を撮る気にはなれません。
撮れた写真はこれだけ。
ネレトヴァ川の流れがとてもきれいなのでした。
モスタルの象徴はスタリ・モストという橋。橋と周辺が世界遺産に登録されています。
その橋もボスニア内戦で一度は破壊されました。2002年時点で、橋は修復中でした。
そして内戦後、敵対した民族のコミュニティは川を境に分けられたのでした。
戦争は一度始まってしまうと、取り返しがつかないものですね。
この旅行で訪れたクロアチアの観光地も、戦争被害に遭っています。
建物はきれいに修復できるかもしれませんが、人の記憶は…
スプリト行きのバスチケットを買い(15KM≒900円)、
出発までの間に、余ったお金でチェバプチチを買います。
挽肉の細長い肉団子を、タマネギと一緒にパンにはさんだもの。
ルーマニアのミティティと同様、バルカン半島一帯でみられます。
バスはまたクロアチアに入り、スプリトを目指します。
車窓からはカルスト地形がバッチリ見えますね。
歴史は繰り返す…のか。
2011年02月21日
アドリア海ぐるり・その9(ドブロヴニク後編)
食後はまた散策。
城壁にのぼって旧市街をぐるりと一周できます。
お金かかりますけど(15クーナ≒225円)。
絵になる入江。
城壁にパンフレットが置いてありました。
何かと思ったら、下に見える店の宣伝なのでした。なるほど…
ジブリの「魔女の宅急便」の舞台(説)に挙げられるのもわかる気がしますね。
(※「魔女の宅急便」で主に参考にされたのは、ストックホルムとゴトランド島)
http://www.ghibli.jp/40qa/000026.html
以上、「高いところからドブロヴニクを見てみよう」のコーナーでした。
城壁にのぼって旧市街をぐるりと一周できます。
お金かかりますけど(15クーナ≒225円)。
絵になる入江。
城壁にパンフレットが置いてありました。
何かと思ったら、下に見える店の宣伝なのでした。なるほど…
ジブリの「魔女の宅急便」の舞台(説)に挙げられるのもわかる気がしますね。
(※「魔女の宅急便」で主に参考にされたのは、ストックホルムとゴトランド島)
http://www.ghibli.jp/40qa/000026.html
以上、「高いところからドブロヴニクを見てみよう」のコーナーでした。
2011年02月20日
アドリア海ぐるり・その8(ドブロヴニク前編)
アドリア海のまわりを逆V字に移動して7日目。
クロアチア側の最終目的地・ドブロヴニクです。
もう1週間あればマケドニアとモンテネグロにも行ける…
などと思うのですが、それを言い出したらキリがありません。
“アドリア海の真珠”と呼ばれるドブロヴニク。
かつてはヴェネツィア同様に栄えた海運国家でした。
旧市街が世界遺産に登録されています。
バスターミナルから旧市街までは1・5kmほど歩きます。
お、旧市街が見えてきた。
メインストリートのプラツァ通り。
バロック様式の大聖堂。
はじめてイタリアを訪れた際、建物の間にロープを張って洗濯物を干す光景に、
「母をたずねて三千里」で見たのと同じ!と小さく驚いたものです。
日本でひとんちの洗濯物を撮影なんかしたら、ただの変態ですね。
飲用可能な湧水の泉。
ランチはシーフードのリゾットにサラダ、メインは白身魚のフィレ。
125クーナ(≒1875円)でした。
観光地だけにレストランの対応はソツがなく、値段相応のお味でしたよ。
クロアチア側の最終目的地・ドブロヴニクです。
もう1週間あればマケドニアとモンテネグロにも行ける…
などと思うのですが、それを言い出したらキリがありません。
“アドリア海の真珠”と呼ばれるドブロヴニク。
かつてはヴェネツィア同様に栄えた海運国家でした。
旧市街が世界遺産に登録されています。
バスターミナルから旧市街までは1・5kmほど歩きます。
お、旧市街が見えてきた。
メインストリートのプラツァ通り。
バロック様式の大聖堂。
はじめてイタリアを訪れた際、建物の間にロープを張って洗濯物を干す光景に、
「母をたずねて三千里」で見たのと同じ!と小さく驚いたものです。
日本でひとんちの洗濯物を撮影なんかしたら、ただの変態ですね。
飲用可能な湧水の泉。
ランチはシーフードのリゾットにサラダ、メインは白身魚のフィレ。
125クーナ(≒1875円)でした。
観光地だけにレストランの対応はソツがなく、値段相応のお味でしたよ。
2011年02月18日
アドリア海ぐるり・その7(ザダール→スプリト→ドブロヴニク)
6日目の朝。いい天気です。
朝食はパンにレバーペースト、ハム、ベーコン、スクランブルエッグ、
クリームチーズにミルクプリンとオレンジジュース、コーヒー。
大充実の朝食をしっかりいただき(昨夜の料理はなんだったのだ)、
ホテルに荷物を置いて、ザダールを散策します。
ザダール旧市街は海に突き出た堤防のような、出島のような町。
時代によってさまざまな国に支配され、翻弄されてきました。
聖ドナ教会。
なんとなく南国風。
右を見ても海。
左を見ても海。
アドリア海を行き交うフェリー。
ここにきて、青い海と白い建物のコントラストがまぶしい景観になってきました。
午後になったら次の中継地・スプリトまで南下。
(バスで約3時間、68クーナ≒1020円)
スプリトも白い建物が目立つ港町です。普通ならここで宿をとりますね。
しかし、実はここには数日のうちにまた戻ってくることになります。
それならやっぱり移動距離を稼いだほうがいいかな…
朝食をしっかり食べたので、あまりおなかも空いてません。
軽食を調達し、またもやバスで約4時間の長距離移動(110クーナ≒1650円)。
どうもひとりで行動すると、ガツガツと先を急いでしまいます。
いまとなっては、昼間にバスで7時間も移動するなんて耐えられませんが。
そしてアドリア海の真珠・ドブロヴニクに到着。
着いた頃には夜になっており、またもや真っ暗です。
ターミナルでバスを降りると、おばちゃんが近寄ってきます。
プライベートルーム(民泊)の客引きなのです。
「すぐ近くだから」と、おばちゃんはなかなか押しが強くて、
あっさり観念してお世話になることに決めました。
男性も押しには弱いんです。需要がある場合に限りますけど。
おばちゃんの家は坂の上の方にあり、若干やられたと思いつつも、
見せてもらった部屋には何の問題もありません。
1泊100クーナ(≒1500円)+税金と格安だったので、
どうせならと2泊することにしました。
2日連続の長距離移動はさすがにこたえますね。
ベッドに横たわると、そのまま気絶するように眠りにつくのでした。
朝食はパンにレバーペースト、ハム、ベーコン、スクランブルエッグ、
クリームチーズにミルクプリンとオレンジジュース、コーヒー。
大充実の朝食をしっかりいただき(昨夜の料理はなんだったのだ)、
ホテルに荷物を置いて、ザダールを散策します。
ザダール旧市街は海に突き出た堤防のような、出島のような町。
時代によってさまざまな国に支配され、翻弄されてきました。
聖ドナ教会。
なんとなく南国風。
右を見ても海。
左を見ても海。
アドリア海を行き交うフェリー。
ここにきて、青い海と白い建物のコントラストがまぶしい景観になってきました。
午後になったら次の中継地・スプリトまで南下。
(バスで約3時間、68クーナ≒1020円)
スプリトも白い建物が目立つ港町です。普通ならここで宿をとりますね。
しかし、実はここには数日のうちにまた戻ってくることになります。
それならやっぱり移動距離を稼いだほうがいいかな…
朝食をしっかり食べたので、あまりおなかも空いてません。
軽食を調達し、またもやバスで約4時間の長距離移動(110クーナ≒1650円)。
どうもひとりで行動すると、ガツガツと先を急いでしまいます。
いまとなっては、昼間にバスで7時間も移動するなんて耐えられませんが。
そしてアドリア海の真珠・ドブロヴニクに到着。
着いた頃には夜になっており、またもや真っ暗です。
ターミナルでバスを降りると、おばちゃんが近寄ってきます。
プライベートルーム(民泊)の客引きなのです。
「すぐ近くだから」と、おばちゃんはなかなか押しが強くて、
あっさり観念してお世話になることに決めました。
男性も押しには弱いんです。需要がある場合に限りますけど。
おばちゃんの家は坂の上の方にあり、若干やられたと思いつつも、
見せてもらった部屋には何の問題もありません。
1泊100クーナ(≒1500円)+税金と格安だったので、
どうせならと2泊することにしました。
2日連続の長距離移動はさすがにこたえますね。
ベッドに横たわると、そのまま気絶するように眠りにつくのでした。
2011年02月17日
アドリア海ぐるり・その6(トリエステ→リエカ→ザダール)
ヴェネツィアのホテルは、この旅行で初めての朝食付きでした。
ビスコット、ラスク、コーン入りのパンにハムペーストとバター、
飲みものは紅茶とブラッドオレンジジュース。
やっぱり朝食は大事です。朝からカラダのキレが違います。
動きがよくなった効果か、出発前に洗面台でグラスを割りました。
フロントで謝罪し、割れたグラスはシンクの中にある旨など伝え、
そんなことをしていたら出発が遅れてしまいました…
5日目は南へ向かう移動日です。移動日なのに出遅れてどうする。
まずはスロヴェニア国境近くの町、トリエステまで移動。
須賀敦子さんの著作でご存知の方もいらっしゃると思います。
ハプスブルク領だったこともあり、街はどこかオーストリア風です。
そして次はトリエステからクロアチアのリエカまでバスで移動。
(7.10ユーロ≒852円)
移動の途中でスロヴェニアの一部を通過します。
スロヴェニアの風景はオーストリアに良く似てますね。
のんびりとした雰囲気で、人も優しく、いい国ですよ。
スロヴェニアを越えると、クロアチアに入国。
10年くらい前だと旧ユーゴの観光情報は少なく感じたものですが、
時代は変わり、いまや「るるぶクロアチア」の改訂版が出てます。
箱根でも「るるぶ」、クロアチアでも「るるぶ」。「るるぶ」おそるべし。
リエカはなんと川崎と姉妹都市です。
ザグレブに次ぐクロアチア第2の都市で、最大の貿易港でもあります。
ここから先はフェリーで移動するのが「アドリア海ぐるり」っぽい。
しかしながら、フェリーの時間に合わせて行動するのがなかなか難しい。
南に向かう列車は1日2本しかないので、これまた時間が合わない。
またバスに乗って距離を稼ぐことにしました。
この日の最終目的地はダルマチアの古都・ザダール。
ダルマチアはクロアチアの海岸地方を指します。
リエカからバスで5時間!ほどかかって到着(115クーナ≒1725円)。
もう真っ暗でしたので、目についた大型ホテルに飛び込みます。
3つ星の「ホテル・コロヴァーレ」。
そしてチェックイン後、すぐにホテルのレストランで夕食。
団体客の利用が多いのか、夜遅くでもけっこう人がいました。
で、シーフードとサラダを注文したのですが…
団体客を捌くには、料理の素材は冷凍にせざるを得ない。
といった内容でございました。海辺の町なのに、なんということだ。
ま、遅い時間に食事にありついただけ、ありがたく思わないといけないか。
宿泊費と夕食代、税金を含めて、1泊384.5クーナ(≒5760円)でした。
ビスコット、ラスク、コーン入りのパンにハムペーストとバター、
飲みものは紅茶とブラッドオレンジジュース。
やっぱり朝食は大事です。朝からカラダのキレが違います。
動きがよくなった効果か、出発前に洗面台でグラスを割りました。
フロントで謝罪し、割れたグラスはシンクの中にある旨など伝え、
そんなことをしていたら出発が遅れてしまいました…
5日目は南へ向かう移動日です。移動日なのに出遅れてどうする。
まずはスロヴェニア国境近くの町、トリエステまで移動。
須賀敦子さんの著作でご存知の方もいらっしゃると思います。
ハプスブルク領だったこともあり、街はどこかオーストリア風です。
そして次はトリエステからクロアチアのリエカまでバスで移動。
(7.10ユーロ≒852円)
移動の途中でスロヴェニアの一部を通過します。
スロヴェニアの風景はオーストリアに良く似てますね。
のんびりとした雰囲気で、人も優しく、いい国ですよ。
スロヴェニアを越えると、クロアチアに入国。
10年くらい前だと旧ユーゴの観光情報は少なく感じたものですが、
時代は変わり、いまや「るるぶクロアチア」の改訂版が出てます。
箱根でも「るるぶ」、クロアチアでも「るるぶ」。「るるぶ」おそるべし。
リエカはなんと川崎と姉妹都市です。
ザグレブに次ぐクロアチア第2の都市で、最大の貿易港でもあります。
ここから先はフェリーで移動するのが「アドリア海ぐるり」っぽい。
しかしながら、フェリーの時間に合わせて行動するのがなかなか難しい。
南に向かう列車は1日2本しかないので、これまた時間が合わない。
またバスに乗って距離を稼ぐことにしました。
この日の最終目的地はダルマチアの古都・ザダール。
ダルマチアはクロアチアの海岸地方を指します。
リエカからバスで5時間!ほどかかって到着(115クーナ≒1725円)。
もう真っ暗でしたので、目についた大型ホテルに飛び込みます。
3つ星の「ホテル・コロヴァーレ」。
そしてチェックイン後、すぐにホテルのレストランで夕食。
団体客の利用が多いのか、夜遅くでもけっこう人がいました。
で、シーフードとサラダを注文したのですが…
団体客を捌くには、料理の素材は冷凍にせざるを得ない。
といった内容でございました。海辺の町なのに、なんということだ。
ま、遅い時間に食事にありついただけ、ありがたく思わないといけないか。
宿泊費と夕食代、税金を含めて、1泊384.5クーナ(≒5760円)でした。
2011年02月16日
アドリア海ぐるり・その5(ラヴェンナ&ヴェネツィア)
イタリア4日目。
リミニから、同じくアドリア海沿いの町・ラヴェンナへ列車で北上。
(2.75ユーロ≒330円)
ラヴェンナは小さな町ですが、5世紀には西ローマ帝国の首都でした。
初期キリスト教建築物群が世界遺産に登録されています。
ラヴェンナを訪れた目的はビザンチン様式のモザイク美術を観ること。
卒論でクリムト(世紀末ウィーンの画家)を扱ったのですが、
その作風はラヴェンナのモザイク美術にも影響を受けたらしく、
いつかこの町に行こうと思っていたのでした。
モザイク美術のある教会はいくつも点在しているので、
共通入場券(8ユーロ≒960円)を入手します。
サン・ヴィターレ教会
ガッラ・プラチーディア廟
ネオニアーノ洗礼堂
主だった教会群を見学した後、オッソ・ブッコのランチを済ませると、
フェッラーラ経由でヴェネツィアに向かいます(9.83ユーロ≒1180円)。
ヴェネツィアは半島や岬のような場所ではなく、ラグーナ(潟)です。
海の上を列車は進み、ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に到着。
駅から一歩踏み出すと、運河と迷路の街が広がっているのです。
反対側からの視点で駅を見るとこんな感じ。
この巨大迷路の街で迷いまくるのが大好きなのです。
イタリアに行ったらとにかくヴェネツィアには寄ります。
ココナッツ、売ってます。
スマイル・クッキー?
店頭のオリーブ。
建物が新しいとディズニー・シーに見えてしまうかも。
サン・マルコ寺院。
迷っても、ぐるぐる歩いているうちにこの広場に出ることが多いですね。
このときはどうやらリアルト橋の写真は撮らなかったようです。
夕食は「ダ・ニコ」というトラットリアで軽めに。
ブルスケッタ、スパゲッティ・ボンゴレと白ワイン。
16.10ユーロ(≒1932円)ナリ。
ちなみにカナル・グランデ(大運河)沿いにある海鮮レストランで、
「エビ、スズキ」などと日本語で呼び込みをする店は無視しましょう。
いろんな手口で微妙なボッタクリをしてきますから。
・ミネラルウォーターを注文すると大瓶を持ってきて1000円以上ふんだくる。
・メニューの価格が実は100gあたりの値段。それをさとられないよう誘導する。
などなど。なんとなく日本人だけが狙われているような気もしますが。
宿泊は、比較的駅に近いホテルをいくつかあたってみました。
「ホテル・ミネルヴァ」(45ユーロ≒5400円)に空き部屋を発見。
ヴェネツィアが今回の「アドリア海ぐるり」の中間地点となります。
リミニから、同じくアドリア海沿いの町・ラヴェンナへ列車で北上。
(2.75ユーロ≒330円)
ラヴェンナは小さな町ですが、5世紀には西ローマ帝国の首都でした。
初期キリスト教建築物群が世界遺産に登録されています。
ラヴェンナを訪れた目的はビザンチン様式のモザイク美術を観ること。
卒論でクリムト(世紀末ウィーンの画家)を扱ったのですが、
その作風はラヴェンナのモザイク美術にも影響を受けたらしく、
いつかこの町に行こうと思っていたのでした。
モザイク美術のある教会はいくつも点在しているので、
共通入場券(8ユーロ≒960円)を入手します。
サン・ヴィターレ教会
ガッラ・プラチーディア廟
ネオニアーノ洗礼堂
主だった教会群を見学した後、オッソ・ブッコのランチを済ませると、
フェッラーラ経由でヴェネツィアに向かいます(9.83ユーロ≒1180円)。
ヴェネツィアは半島や岬のような場所ではなく、ラグーナ(潟)です。
海の上を列車は進み、ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に到着。
駅から一歩踏み出すと、運河と迷路の街が広がっているのです。
反対側からの視点で駅を見るとこんな感じ。
この巨大迷路の街で迷いまくるのが大好きなのです。
イタリアに行ったらとにかくヴェネツィアには寄ります。
ココナッツ、売ってます。
スマイル・クッキー?
店頭のオリーブ。
建物が新しいとディズニー・シーに見えてしまうかも。
サン・マルコ寺院。
迷っても、ぐるぐる歩いているうちにこの広場に出ることが多いですね。
このときはどうやらリアルト橋の写真は撮らなかったようです。
夕食は「ダ・ニコ」というトラットリアで軽めに。
ブルスケッタ、スパゲッティ・ボンゴレと白ワイン。
16.10ユーロ(≒1932円)ナリ。
ちなみにカナル・グランデ(大運河)沿いにある海鮮レストランで、
「エビ、スズキ」などと日本語で呼び込みをする店は無視しましょう。
いろんな手口で微妙なボッタクリをしてきますから。
・ミネラルウォーターを注文すると大瓶を持ってきて1000円以上ふんだくる。
・メニューの価格が実は100gあたりの値段。それをさとられないよう誘導する。
などなど。なんとなく日本人だけが狙われているような気もしますが。
宿泊は、比較的駅に近いホテルをいくつかあたってみました。
「ホテル・ミネルヴァ」(45ユーロ≒5400円)に空き部屋を発見。
ヴェネツィアが今回の「アドリア海ぐるり」の中間地点となります。
2011年02月15日
アドリア海ぐるり・その4(サン・マリーノ)
午後はリミニからバスに乗ってお出かけ。
40分ほどでサン・マリーノ共和国に到着。
山の上にある、古い城塞都市。世界で5番目に小さい国だそうです。
当然ながら観光立国で、切手で有名ですね。
フェラーリやクラシックカーの博物館などもあるそうです。
なんとなく御殿場を連想してしまいます。
そして、サンマリーノといえば大工のハッサンの故郷ですね。
バシルーラで飛ばされたとき、いちいち迎えにいかないといけない。
ルイーダの酒場はサンマリーノの他にも4箇所ありますね。
いったい何の話だ。
細い坂道を登っていきます。
サン・マリーノ政庁。
道なりに香水、リキュール、時計、宝飾などの土産物屋が並びます。
付加価値税がフリーの国なので、買い物客であふれていますね。
アンドラもこういうところなんだろうか。
土産物ストリートを抜け、いちばん高い場所に辿りつくと、城砦があります。
砦は3つあり、それぞれ名前がつけられているのだとか。
景色も良く、緑もあって、なかなか快適な散歩スペースなのでした。
帰り道、妙に安い香水店が気になり、安さの理由を聞いてみました。
答えはひとこと「イミテーション」。さようでございましたか…
40分ほどでサン・マリーノ共和国に到着。
山の上にある、古い城塞都市。世界で5番目に小さい国だそうです。
当然ながら観光立国で、切手で有名ですね。
フェラーリやクラシックカーの博物館などもあるそうです。
なんとなく御殿場を連想してしまいます。
そして、サンマリーノといえば大工のハッサンの故郷ですね。
バシルーラで飛ばされたとき、いちいち迎えにいかないといけない。
ルイーダの酒場はサンマリーノの他にも4箇所ありますね。
いったい何の話だ。
細い坂道を登っていきます。
サン・マリーノ政庁。
道なりに香水、リキュール、時計、宝飾などの土産物屋が並びます。
付加価値税がフリーの国なので、買い物客であふれていますね。
アンドラもこういうところなんだろうか。
土産物ストリートを抜け、いちばん高い場所に辿りつくと、城砦があります。
砦は3つあり、それぞれ名前がつけられているのだとか。
景色も良く、緑もあって、なかなか快適な散歩スペースなのでした。
帰り道、妙に安い香水店が気になり、安さの理由を聞いてみました。
答えはひとこと「イミテーション」。さようでございましたか…
2011年02月14日
アドリア海ぐるり・その3(ボローニャ&リミニ)
イタリア3日目。そろそろアドリア海方面へ向かうことにします。
まずはフィレンツェからインターシティ(特急)で1時間ほど北上、
ボローニャに到着します(距離97q、7.75ユーロ≒930円)。
エミリア・ロマーニャ州の州都で、欧州最古の大学があった自由都市。
イタリア屈指の食都なのですが、食事にはちょっと時間が早いなあ…
ボローニャ中央駅。
書籍市をひやかすと、「坊ちゃんの時代」を発見。
路上のフリマでは万華鏡が並べられてました。
ちょっと欲しくなります。
インデペンデンツァ通りを南へ。
ポルティコ(柱廊)の多い街です。夏は日陰になるので助かります。
マッジョーレ広場の“ネプチューンの噴水”。
この広場がボローニャの中心部ですね。
サン・ペトローニオ大聖堂。実は未完成です。
サン・ピエトロ大聖堂よりも大きな聖堂を造ろうとしたところ、
ヴァチカンから横やりが入ったのだとか。
バべるのは神様の特権じゃないんです。
時計のある建物は市庁舎。
人が集まっているのは、日曜日の礼拝のためでしょうか。
ポデスタ宮殿。オープンカフェの席がズラリ。
さて。2時間ほど散歩をしても、まだ10時台です。
ボローニャのごはん、前にも食べたから今回はパスしてもいいか…
後ろ髪をひかれつつ、ボローニャから急行で1時間20分、東へ移動。
アドリア海沿いの町・リミニに到着(距離112q、6.30ユーロ≒756円)。
リミニはビーチリゾート。夏にはマイアミのようになるそうです。
マイアミに行ったことないんですけど。
しかしこの日は4月28日。リゾートにはまだ気が早いのです。
地元の人たちがゆっくり散策する日曜日、という感じですね。
2つ星の「Hotel Card」にチェックイン(24ユーロ≒2880円)、
そして腹ごしらえです。
ランチは豚肉・タケノコ・キノコ炒めに野菜チャーハンで8ユーロ(≒960円)。
リミニには意外に中国料理店が多い印象です。って中華かいっ!
ああ、やっぱりボローニャで何か食べておくべきだったかな…
たまたま隣席の客も日本人で、イタリア料理の修業中だとか。
あれからもう9年、すでに独立なさっているのでしょうか。
食後にはお約束のジェラート。
松の実とへーゼルナッツ(1.8ユーロ≒216円)。
ナッツがゴロゴロ入って、クリーミー。
「ぺリカーノ」という店で購入。なかなか流行ってましたよ。
旅メモには、もうひとつジェラートを購入したとの記録が。
これも何かの間違いでしょう。
まずはフィレンツェからインターシティ(特急)で1時間ほど北上、
ボローニャに到着します(距離97q、7.75ユーロ≒930円)。
エミリア・ロマーニャ州の州都で、欧州最古の大学があった自由都市。
イタリア屈指の食都なのですが、食事にはちょっと時間が早いなあ…
ボローニャ中央駅。
書籍市をひやかすと、「坊ちゃんの時代」を発見。
路上のフリマでは万華鏡が並べられてました。
ちょっと欲しくなります。
インデペンデンツァ通りを南へ。
ポルティコ(柱廊)の多い街です。夏は日陰になるので助かります。
マッジョーレ広場の“ネプチューンの噴水”。
この広場がボローニャの中心部ですね。
サン・ペトローニオ大聖堂。実は未完成です。
サン・ピエトロ大聖堂よりも大きな聖堂を造ろうとしたところ、
ヴァチカンから横やりが入ったのだとか。
バべるのは神様の特権じゃないんです。
時計のある建物は市庁舎。
人が集まっているのは、日曜日の礼拝のためでしょうか。
ポデスタ宮殿。オープンカフェの席がズラリ。
さて。2時間ほど散歩をしても、まだ10時台です。
ボローニャのごはん、前にも食べたから今回はパスしてもいいか…
後ろ髪をひかれつつ、ボローニャから急行で1時間20分、東へ移動。
アドリア海沿いの町・リミニに到着(距離112q、6.30ユーロ≒756円)。
リミニはビーチリゾート。夏にはマイアミのようになるそうです。
マイアミに行ったことないんですけど。
しかしこの日は4月28日。リゾートにはまだ気が早いのです。
地元の人たちがゆっくり散策する日曜日、という感じですね。
2つ星の「Hotel Card」にチェックイン(24ユーロ≒2880円)、
そして腹ごしらえです。
ランチは豚肉・タケノコ・キノコ炒めに野菜チャーハンで8ユーロ(≒960円)。
リミニには意外に中国料理店が多い印象です。って中華かいっ!
ああ、やっぱりボローニャで何か食べておくべきだったかな…
たまたま隣席の客も日本人で、イタリア料理の修業中だとか。
あれからもう9年、すでに独立なさっているのでしょうか。
食後にはお約束のジェラート。
松の実とへーゼルナッツ(1.8ユーロ≒216円)。
ナッツがゴロゴロ入って、クリーミー。
「ぺリカーノ」という店で購入。なかなか流行ってましたよ。
旅メモには、もうひとつジェラートを購入したとの記録が。
これも何かの間違いでしょう。
2011年02月13日
アドリア海ぐるり・その2(フィレンツェ)
翌朝、列車でペルージャからフィレンツェへと移動します。
いちど主要幹線で乗り換えて、約2時間(8.86ユーロ≒1063円)。
ドゥオモ。「花の聖母教会」とも呼ばれる“クーポラのある聖堂”です。
塔はジオットの鐘楼、八角形の建物はサン・ジョバンニ洗礼堂。
「フィレンツェ…ちっともアドリア海じゃないじゃん!」
というツッコミは甘んじてお受けします。
せっかくイタリアに来てるんですもの、寄り道は当然ですことよ。
3回目のフィレンツェ。三度目の正直で晴天、かつ月曜でない日。
前の2回は雨に降られ、そして美術館にもフラれたのですわ。
トスカーナは雨が降りやすいのかな…
体力のあるうちにウフィッツイ美術館へ(6.50ユーロ≒780円)。
http://www.uffizi.firenze.it/musei/uffizi/
30分待ちでようやく入館。これってマシな方?
レオナルド・ダ・ヴィンチとラファエロをじっくり堪能。
あ、フィリッポ・リッピだ。クラナッハとデューラーもあるなあ。
旅メモにはボッティチェリについて上から目線のコメントが。
何様だ、2002年の自分。
ランチは激混みの「トラットリア・ラ・カーサリンガ」へ。
中心街からは離れた場所にあり、地元客で賑わっています。
生ハムとサラミのアンティパストが3.10ユーロ(≒372円)。
他に「タリアリーニ・カーサリンガ風」と「イチゴのタルト」を注文。
飲み物とサービス料を加えて、計12.95ユーロ(≒1554円)でした。
“イタリア版おふくろの味”という感じで、美味しかったですよ。
食後は散歩です。
ヴェッキオ宮殿。
宮殿前のシニョリーア広場には、ミケランジェロのダビデ像が。
これはレプリカですね。本物はアカデミア美術館にあります。
アルノ川に架かるヴェッキオ橋。
橋の両側には貴金属店が並びます。
ヴェッキオ橋近くのマーブル紙屋さん「イル・パピーロ」。
ディスプレイがステキなこちらの店で、紙製品を数点購入。
いきなり50ユーロ(≒6000円)も使ってしまいました…
路上のパフォーマーさんとお子様たち。
突如現れるメリーゴーランド。
ジェラート屋さん。大手メーカーの観光地仕様店ですね。
同じく観光地仕様のセルフレストラン。
ルックス重視の店ですが、このドルチェにやられてしまい、つい入店。
ラザニアをいただきましたが、見た目に比べて残念なお味…
玉石混合は観光地の宿命。
安易に「ここでいいや」と判断するのは、時に危険です。
やっつけ仕事なツーリストメニューも多いのです。
さて。
土曜日のフィレンツェでの宿探しは、そこそこ骨が折れました。
それでも駅東側のホテル街でアルべルゴに空室をみつけました。
23ユーロ(≒2760円)ナリ。
いちど主要幹線で乗り換えて、約2時間(8.86ユーロ≒1063円)。
ドゥオモ。「花の聖母教会」とも呼ばれる“クーポラのある聖堂”です。
塔はジオットの鐘楼、八角形の建物はサン・ジョバンニ洗礼堂。
「フィレンツェ…ちっともアドリア海じゃないじゃん!」
というツッコミは甘んじてお受けします。
せっかくイタリアに来てるんですもの、寄り道は当然ですことよ。
3回目のフィレンツェ。三度目の正直で晴天、かつ月曜でない日。
前の2回は雨に降られ、そして美術館にもフラれたのですわ。
トスカーナは雨が降りやすいのかな…
体力のあるうちにウフィッツイ美術館へ(6.50ユーロ≒780円)。
http://www.uffizi.firenze.it/musei/uffizi/
30分待ちでようやく入館。これってマシな方?
レオナルド・ダ・ヴィンチとラファエロをじっくり堪能。
あ、フィリッポ・リッピだ。クラナッハとデューラーもあるなあ。
旅メモにはボッティチェリについて上から目線のコメントが。
何様だ、2002年の自分。
ランチは激混みの「トラットリア・ラ・カーサリンガ」へ。
中心街からは離れた場所にあり、地元客で賑わっています。
生ハムとサラミのアンティパストが3.10ユーロ(≒372円)。
他に「タリアリーニ・カーサリンガ風」と「イチゴのタルト」を注文。
飲み物とサービス料を加えて、計12.95ユーロ(≒1554円)でした。
“イタリア版おふくろの味”という感じで、美味しかったですよ。
食後は散歩です。
ヴェッキオ宮殿。
宮殿前のシニョリーア広場には、ミケランジェロのダビデ像が。
これはレプリカですね。本物はアカデミア美術館にあります。
アルノ川に架かるヴェッキオ橋。
橋の両側には貴金属店が並びます。
ヴェッキオ橋近くのマーブル紙屋さん「イル・パピーロ」。
ディスプレイがステキなこちらの店で、紙製品を数点購入。
いきなり50ユーロ(≒6000円)も使ってしまいました…
路上のパフォーマーさんとお子様たち。
突如現れるメリーゴーランド。
ジェラート屋さん。大手メーカーの観光地仕様店ですね。
同じく観光地仕様のセルフレストラン。
ルックス重視の店ですが、このドルチェにやられてしまい、つい入店。
ラザニアをいただきましたが、見た目に比べて残念なお味…
玉石混合は観光地の宿命。
安易に「ここでいいや」と判断するのは、時に危険です。
やっつけ仕事なツーリストメニューも多いのです。
さて。
土曜日のフィレンツェでの宿探しは、そこそこ骨が折れました。
それでも駅東側のホテル街でアルべルゴに空室をみつけました。
23ユーロ(≒2760円)ナリ。
2011年02月12日
アドリア海ぐるり・その1(アッシジ&ペルージャ)
「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ」
と、「紅の豚」に影響を受けたというわけではないのですが、
アドリア海を中心にざっくりと歩きまわったことがございます。
時は2002年のGW。当時は某環境コンサルタントでアルバイトをしており、
(のちに契約社員となって横浜・鶴屋町に赴任したりするのですが…)
前年度の業務もひと段落したので、ちょっと長い休暇をもらったのでした。
インフルエンザはとっくに治ってると思うのですが、咳が続いています。
食欲もないので、このタイミングでまた旅シリーズを始めたいと思います。
アドリア海ぐるり、の相棒。
このときはマレーシア航空利用で、クアラルンプール経由でした。
途中降機のクアラルンプールで信じられない失敗をやらかしたのですが、
無事に旅を続けることができました。その節はお世話になりました。
マレーシア航空の皆様、ありがとうございましたm(_ _)m
深夜にクアラルンプールを出発してから到着するまで、機内食が3回。
そのうち2回は軽食ですが、さすがにブロイラーな気分です。
翌日の昼、チューリヒへ寄港の後、フィウミチーノ空港に到着。
何かとしんどい南まわり航路ですが、昼間の到着はありがたい。
そそくさとローマ・テルミニ駅まで移動し、まず小腹を満たします。
駅売りのマルゲリータ(1.55ユーロ≒186円)。
このチープさが好きなんです。やめられない。
2002年当時の1ユーロは120円くらいでした。
そしてひと心地つくと、イタリアを北上していきます。
ローマからアッシジまで急行で2時間20分(8.99ユーロ≒1079円)。
イタリアは西欧諸国の中では比較的交通費の安い国だと思います。
アッシジ駅に着くと、ボーイスカウト団体?がいました。
駅と町は離れているので、バスでアッシジの町まで移動。
赤いポピーがいちめんに咲いてますね。
「咲く」でひとつ思い出しました。
「武井咲」って「たけい えみ」なんですね。
この日は金曜日でしたが、アッシジはすごい人出なのでした。
サン・フランチェスコ聖堂。ちゃんと復活してます。
サンタ・キアーラ教会。
お菓子屋さん。カンノーリなど、素朴なお菓子が並んでますね。
イタリアのおやつといえばジェラート。これはメロン&桃だったかな。
旅メモには“ジェラート3連発!1.2、1.2、2.4ユーロ”などと記されてます。
きっと何かの間違いでしょう。
その後、ウンブリア州の州都ペルージャに移動(1.60ユーロ≒192円)。
イタリアでもかなり古くからある、丘の上の町です。
石造りの堅牢な建物が多く、地面が灰黒色なので“重たい”感じがあります。
ペルージャでは心当たりのホテルをあたるも、軒並み満室です。
「アルべルゴ・アンナ」になんとか空室をみつけ、投宿(30ユーロ≒3600円)。
パニーニで軽く夕食を済ませたら、イタリア初日が終了です。
と、「紅の豚」に影響を受けたというわけではないのですが、
アドリア海を中心にざっくりと歩きまわったことがございます。
時は2002年のGW。当時は某環境コンサルタントでアルバイトをしており、
(のちに契約社員となって横浜・鶴屋町に赴任したりするのですが…)
前年度の業務もひと段落したので、ちょっと長い休暇をもらったのでした。
インフルエンザはとっくに治ってると思うのですが、咳が続いています。
食欲もないので、このタイミングでまた旅シリーズを始めたいと思います。
アドリア海ぐるり、の相棒。
このときはマレーシア航空利用で、クアラルンプール経由でした。
途中降機のクアラルンプールで信じられない失敗をやらかしたのですが、
無事に旅を続けることができました。その節はお世話になりました。
マレーシア航空の皆様、ありがとうございましたm(_ _)m
深夜にクアラルンプールを出発してから到着するまで、機内食が3回。
そのうち2回は軽食ですが、さすがにブロイラーな気分です。
翌日の昼、チューリヒへ寄港の後、フィウミチーノ空港に到着。
何かとしんどい南まわり航路ですが、昼間の到着はありがたい。
そそくさとローマ・テルミニ駅まで移動し、まず小腹を満たします。
駅売りのマルゲリータ(1.55ユーロ≒186円)。
このチープさが好きなんです。やめられない。
2002年当時の1ユーロは120円くらいでした。
そしてひと心地つくと、イタリアを北上していきます。
ローマからアッシジまで急行で2時間20分(8.99ユーロ≒1079円)。
イタリアは西欧諸国の中では比較的交通費の安い国だと思います。
アッシジ駅に着くと、ボーイスカウト団体?がいました。
駅と町は離れているので、バスでアッシジの町まで移動。
赤いポピーがいちめんに咲いてますね。
「咲く」でひとつ思い出しました。
「武井咲」って「たけい えみ」なんですね。
この日は金曜日でしたが、アッシジはすごい人出なのでした。
サン・フランチェスコ聖堂。ちゃんと復活してます。
サンタ・キアーラ教会。
お菓子屋さん。カンノーリなど、素朴なお菓子が並んでますね。
イタリアのおやつといえばジェラート。これはメロン&桃だったかな。
旅メモには“ジェラート3連発!1.2、1.2、2.4ユーロ”などと記されてます。
きっと何かの間違いでしょう。
その後、ウンブリア州の州都ペルージャに移動(1.60ユーロ≒192円)。
イタリアでもかなり古くからある、丘の上の町です。
石造りの堅牢な建物が多く、地面が灰黒色なので“重たい”感じがあります。
ペルージャでは心当たりのホテルをあたるも、軒並み満室です。
「アルべルゴ・アンナ」になんとか空室をみつけ、投宿(30ユーロ≒3600円)。
パニーニで軽く夕食を済ませたら、イタリア初日が終了です。